皆さん、お元気ですか。今日は「終戦記念日」ですね。これから日本武道館で「全国戦没者追悼式」が行われます。過去何年もこの日ばかりは正午の合図と共に「黙祷」を捧げております。今年も先の大戦で亡くなった方々に黙祷をささげ、それから出かけます。平和を願う私の思惑とは裏腹に、先の国会では「国旗の損壊等の処罰に関する法律」が成立し施工されました。評判悪いですね。何を今さら国旗損壊ですか。馬鹿じゃあないかと蔑んでおります。高市内閣は何を考えているのでしょうね。
先に(平成11年)に制定した「国旗・国歌法」に更に罰則を加えると言う内容ですよ。一昔前、国旗国歌については国論を二分する論議が成されようやく落ち着いたと思えばまたこの体たらくです。当時、私はこの激論の只中に身を置き論陣を繰り広げた一人として少し述べたいと思います。などと国旗損壊論を切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
昔、我が家には国旗があり何かにつけ飾られておりました。当時は国旗と言う概念はなく、先端に光る丸い球を喜んでおりました。小学校から大学までの間、国旗や国歌「君が代」について、とやかく言われた記憶はありませんし、強要される事もありませんでした。但し、「君が代」の演奏は何処かで耳にしており、歌えと言われれば空で歌える生徒であり学生でした。東京都の教員として勤務している頃は、入学式は勿論卒業式の時にも国旗国歌を強制する縛りは無く、厳かな雰囲気の中に身を置き、卒業式では「仰げば尊し」を謳う様に進言し、指導したこともありました。あの歌詞を読んでごらんなさいよ。子弟同行の精神が宿っているとは思いませんか。
そんな国旗国歌が声高に論争の種になったのは、昭和が終わりを告げる頃からだったと思います。東京都の教育委員会が、入学式や卒業式などの式典に口を出す様になり、その「指導」もエスカレートしていったのであります。余程、日本と言う国に自信が無かったのでしょうね。国旗国歌を強制する事は日本国を敬う第一歩だとばかりに、何かにつけて国旗を掲げ国家「君が代」を歌えと指図して来るのです。「仰げば尊し」などは話題にすら上がりませんでしたが、何時の間にか誰も歌わない詩になってしまいましたね。残念です。
教育委員会の指導が強まったのは、私が管理職に昇進した頃からでした。教頭の頃は校長に「国旗を掲げるのであればお手伝いしますよ」となどと進言しておりましたので、あいつは右翼思想の持ち主だなどと評価されていたかもしれません。しかし、当時の校長たちは、周囲の動向ばかりを気にして、自ら国旗を掲げ国歌を斉唱させると言う行動まで及ぶことをしませんでした。中には、国旗を校長室から中庭に掲げたとして、国旗を掲げたとの言い訳にすると言うか、お茶を濁す校長もおりました。
私が校長だった頃は、教育委員会が「国旗を掲げろ」と言ってきた時には、掲げると決めておりましたし、実際に掲げた事もありました。組合などは「内心の自由」とか言って反対しておりましたが、彼らを説得して実施しました。内心の自由とは「心の中で何を考え、どの様な宗教や政治の意見を持つかについて、国家などの他者から邪魔にされない権利の事」で、日本国憲法第19条で「思想及び良心の自由は、これを犯してはならない」と、定めてある自由の基本でもあったのです。
これに対し、その基本理念は尊重するが、あなた方は公務員である。公務員である以上その職務上の義務及び身分上の義務は果たさなければならない。などと、取ってつけたような理屈をもって説得したのであります。組合の強い学校ではありましたが彼らはその説得に応じ、国旗を掲げ君が代を斉唱する方針に賛同してくれました。と、ここまで書くのは簡単ですが、何時間にも及ぶ議論はしてきたのです。しかし、都の教育委員会の思惑もむなしく、国旗国歌を指示通り実施できたのは、300校ほど在る都立高のうち、私の学校を含めて僅か3校程度でした。校長たちは互いに連絡を取り合いつつ易きに流れました。
すると教育委員会も強気に出て「職務命令書を出してでも職務に着かせろ」と言ってきました。私はこれには反対しました。何故かと言えば「前回は、職員の理解を得て実施することが出来た。理解と言うのは命令より強いものである。一度理解している彼らに、再び、職務命令出す訳には行かない。また説得するので俺の学校だけは、職務命令を出すのを免除してくれ」と訴えましたが、教育委員会の回答はNOでした。しかも、回答は地区担当の「指導主事」を通してでした。責任者が私を呼び出して説得するのであれば未だしも、担当の小役人を通じての指示でした。あくまでも事務的に処理しようとする教育委員会に、一時は反旗を翻そうと思いましたが、担当の指導主事が苦慮する姿を見て頷いたのであります。残念でした。
この事は、私の生涯における汚点として心に残っておりますが、職員会議の席上で、全職員に詫びを入れ、職務命令を出す旨を伝えました。今では、職務命令の受け入れを承認してくれた職員の方々には、感謝の気持ちしかありません。その年の卒業式では卒業証書と共に「深紅の薔薇」一本を贈り、「諸君が給与を貰ったら世話になった親に花一輪で構わないから贈って欲しい、親はその花を『押し花』にでもして残して欲しい」などと祝辞を述べた事を思い出します。薔薇の花はポケットマネーでした。それよりも、当時の東京都立高校の校長たちは軟弱で日和見でしたね。会合などで会えば立派な教育論をぶつ人間もおりましたが、総じてそんな奴らは日和見で決断力のない奴らばっかりでした。
平成11(1999)年に制定された「国旗・国歌法」では国旗を日章旗とは定めたものの、国民に尊重の義務を求めたり罰則を課したりはしませんでした。しかし、今回の「国旗損壊罪法」は、その根底に国旗を敬え、言葉には無いが国歌を歌えと求めているのです。この度の熊本地震に駆けつけた市井の人々に対し、国旗を敬え(国歌を歌え)などと求めるのは不遜であり、人間としての道に外れていると感じるのは私だけでしょうか。黙っていても敬われる国家にし、喜んで歌われる国歌にしなければならないのは「お前たちだよ」と強く言いたいですね。日本は、もう、終わりですよ。残念です。
令和8年8月15日 毛利