皆さん、お元気ですか。私の誕生日を祝うかの如く関東甲信越地方の「梅雨明け」も宣言されましたが、それからが暑かったですね。昨年は6月から暑さが続き、散歩も儘なりませんでしたが、今年の6月は過ごし易く過ぎましたね。梅雨明けと共に「蝉」も鳴きはじめ、今では天を覆う如くその声を轟かせております。子供の頃は、この鳴き声と共に蚊やブヨが飛び交い、痒い思いをした事を思い出します。などと梅雨明けと子供を襲うブヨなどを切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
今年の国会はつまらなかったですね。圧倒的な支持を得たと言う自民党と、それにすり寄り都構想を推進しようとする維新の会が提出した案件ばかりだったせいでしょうかね。最重要案件は「皇室典範改正」との事でしたが、訳の分からない内容に加え、過去に8人もの女性天皇が出ているにも拘らず、その存在すら否定する内容になっているではありませんか。難しい文面になってはいましたが、日本人としての人権から見れば変な内容ですね。
まあ、私にとって皇室などはどうなったって構わない存在ですから、どうでも良いのですが、現在の上皇様と天皇陛下には少なからざる縁があるため、論の行方は気になっておりました。上皇様との縁は何度も述べておりますが、皇居前広場での「鉢合わせ」が最初でした。
皇居前広場は当時の私の散歩道でした。そして、当時、私は天皇家については何の意識も感動も持たない普通の庶民の立場でした。何時ものようにぶらぶらと皇居前広場を歩いておりました。すると皇居前広場に隣接する「二重橋前」の交差点で行方を阻止されたのであります。内堀通りですね。警備の皇宮警察によると「天皇の車が通るので暫く待って欲しい」との事でした。
別に急ぐ旅でもないし指示に従い歩道の手前で立ち尽くしていたのであります。するとセンチュリーの窓越しに、私に手を振っている方がおられました。天皇でした。よく見ると皇居に向かって右側の歩道に居るのは私だけで、左側には東京駅から皇居二重橋を目指す観光客が群れておりました。そちら側には皇后さまが手を振っておられたのですが、こちら側は私一人で天皇と目が合ってしまいました。思わず会釈をして手を振り直したのであります。天皇も笑顔で応じてくれました。その時以来、私は天皇が好きになったのであります。別に好きになる必要は無いのですが、その辺りは単純ですね。
その直後、天皇が入院したとの事で、回復を祈る「気帳簿」に名を書いたこともありましたし、叙勲の折には正式な拝謁を受けております。奇遇的には軽井沢の駅で、草津温泉に行っておられたご夫妻が帰京するために乗られる特別列車に遭遇し、申し訳ありませんが駅の立ち食いソバ屋の中から御夫妻を見送った事もありました。さすがにその時は蕎麦の碗はテーブルに置きましたが、前出の経緯がなかったら碗を持ったまま見送っていたかもしれません。帰りの新幹線には「臨時列車」と書いてありました。
当時の皇太子、今の天皇ですが、あの方とも言葉を交わした事が有ります。あれは平成27年秋の叙勲を受けて暫く経った頃でした。何と「平成28年秋の園遊会」への招待状が来たのであります。喜び勇んで準備をしていたところ三笠宮殿下が園遊会の直前に亡くなられ、園遊会は中止と成ってしまったのであります。確か、100歳を超えていたと思います。ご長命な方でした。
折角の機会を失ったとガッカリしていたところ、翌年の「春の園遊会」への招待状が届いたのであります。招待の基準は分かりませんが、皇居に近いところに住んでたのが幸いしたのかもしれません。あの頃は、政府のイベントとして「桜を見る会」なる会合もありました。場所は「新宿御苑」でしたが、これには2万人近い人々が招待され、物凄い混雑で飲み物もつまみも瞬く間に無くなり、途方に暮れる様な会でしたが、安倍晋三が地元の人々を呼びすぎ、選挙違反ではないかと騒がれ、中止になってしまいました。この会にも麻生太郎の時と安倍晋三の時の二回も招待を受け行ってきましたが、混雑が過ぎて桜を愛でる気には成りませんでした。
その点、園遊会は赤坂御苑で開催され天皇皇后が主催するガーデンパーティーですが、参加者は1800人ほどに絞られ、料理も飲み物もふんだんに準備されておりました。前年のリオデジャネイロオリンピックのメダリストも参加しており、顔を見知っている選手たちと一緒に写真を撮るのがメインの様なイベントでした。いよいよ皇族の方々が来訪者に挨拶すると言う事で、皇族たちが園内の歩道を歩き始めました。マスコミは著名人との会話を狙っての取材が多く、私の様な一般庶民には見向きもしませんでした。
天皇が私の前を通過し皇太子が歩み寄って来た時「愛子ちゃんの作文は素晴らしかったですよ」声を掛けたのであります。当時中学生だった愛子さんが「広島原爆資料館」を見学した際に認めた作文が公表されていた事を知っていた為の声掛けでした。皇太子も、まさかの声掛けに驚いた模様で、私の胸に下がっている名前を読もうとしておりましたが、読み切れずに「ありがとうございます」と笑顔で会釈してくれたのであります。
まあ、何てことの無い一瞬でしたが、私にとっては「会話が出来た」と言えるほどの時間でしたね。園遊会は、がつがつ料理にかぶりつく人も少なく、メダリストと懇談する時間もありましたし、著名な方々と懇談する機会もありました。中でも、人懐っこく元気があったのは俳優の「杉良太郎」でしたね。当然嫁さんの「伍代夏子」と一緒でしたが、彼女の着物姿は場を盛り上げておりました。因みに、園遊会に同行できるのは正式な夫婦と言う事になっており、事前の審査が有ったように記憶しております。
通い続けていたネパールも当初は国王のいる「王国」でした。その様な国で、農村を中心として盛り上がりを見せた「毛沢東主義」を唱える「マオイスト」なる人民による暴動が基で、ネパールの王国は滅びましたが、国王は未だ国内に住み住居も与えられております。昔、ネパール国内に有った「ムスタン王国」の子供たちもカトマンズに住んでおりますし、ホテルなどを経営し普通の暮らしをしてますね。日本の様に難しい仕組みには成っていないと感じます。王国が必ずしも良いとは思いませんが、彼らはどの様に思っているんでしょうね。他人事ながら気になります。
令和8年8月5日 毛利