皆さん、お元気ですか。今年も行ってきましたよ、恒例になっている上越で行われる「高田城ロードレース」ですよ。参加者約3000名でしたが、今年還暦を迎える卒業生と共に走ってきました。今回で3回目ですが初めて太陽の下で走ることが出来ました。タイムとか順位とか野暮なことは言わないでください。ゴールに入った時は感動でした。近所のジムでランニングマシンの上を走ってはいるのですが今年も心配でした。マシンはゴムベルトが足を運んでくれますが、今回は自力で蹴り出さなければなりません。使う筋肉が異なるので不安でしたが、何とか無事に完走出来ました。汗まみれに成りましたが、それを上回るビールを補給し体力の維持に勤めました。前泊を含めて2泊3日の行程はフォッサマグナを巡る旅にもなり、勉強にもなるロードレースでもありました。などと高田城ロードレースの報告を切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
「旧約聖書」とか「十字軍」などと言うと、遥か昔のおとぎ話のように受け止められがちですが、シリアや隣国のヨルダンなどに行けばその痕跡の多さに驚かされます。日本で言えば「日本書紀」や「古事記」などに記載された場所や建物がそのまま残っている感じです。先に報告した「パルミラの遺跡」ではイスラムと十字軍が戦った跡がそのまま残っているのです。
彼の地は石造りの文化ですから、石像などは首が落とされていたり鼻が削られたりして残っております。石像は首を落とすあるいは鼻を削る事によって「魂」がなくなると信じられており、そのまま残しても罰は当たらないと言う思想があった模様です。完璧に相手を壊滅させない意識が残っていたのでしょうね。
それが今では偶像崇拝を禁止するとの思想が蔓延し、全てを破壊する思想に変化してますね。これが進化か後退かはだれの目にも明らかですが、この様な極端な思想の蔓延が怖いですね。これも人間不信の表れかは定かではありませんが、17年前も今でも観光用のバスには銃器を携えたポリスが同乗するのです。シリアやヨルダンではマグナム弾を装着した拳銃を腰にしたポリスが同乗すると共に、我々が観光している間は、それとなく警備に当たってくれたおりました。その時は腰に装着した拳銃だけが目に留まりましたが、一昨年、エジプトに行った際も「ウージー」を隠し持つポリスが警護に当たってくれました。
このウージーはイスラエルが開発した超小型短機関銃で、弾倉には20~50発もの銃弾が込められる優れものなのであります。エジプトのポリスはこの銃を携帯して我々を見守ってくれましたが、上着の下に隠し持つようにして、その形を我々の目に晒すことは避けておりました。私は遺跡(ピラミッド)より銃器の方に興味があり、それとなく近づいてウージーを写真に収めようと画策しましたが、敵もさるもの引っ搔くものなかなか私の接近を許してはくれませんでした。こんな旅の楽しみ方もあるのです。馬鹿ですね。
ヨルダンの「ペトラ遺跡」は映画「インディジョーンズ」のロケ地として脚光を浴び、その名が知られ今では見学者が引きも切らない状況となっておりますが、メインは「エル・ハズネ」と呼ばれる神殿であります。宝物殿と言う説もあるとの事ですが、そもそもペトラとはギリシャ語の「岩」と言う意味だと言う事です。行ってみればその名に恥じない岩の回廊と岩を削って造った神殿が人々を驚嘆させてくれます。
太古の昔に隆起した岩盤が降雨や流水に削られ、自然の要塞を形作ったものだとの事ですが、小高い丘の上から見るとお椀を伏せたような岩山が連なっているだけの荒野であります。一見しただけでは岩に囲まれた回廊の存在すら感じさせませんが、岩の回廊に一歩踏み込めば、両側には100mに及ぶ垂直な岸壁が続いており、光を浴びて変化する岩の色彩は神秘的であります。
回廊の突き当りにあるのがエル・ハズネですが、ペトラ遺跡の真髄はこの奥にある古い都の跡なのです。エル・ハズネを右に回り込むと広い道に差し掛かります。この道は1500m以上続いており、道の両側にはこれから発掘されるであろう石積みがそこかしこに転がっておりました。あれから17年もの年月が経ち、今では旧市街が展開されていると思いますが、其処を歩くのは楽しみでした。よく見れば小型ではありますが円形の競技場や建物の痕跡が続いておりました。恐らくこれらは修復され復活していると思います。
私が書きたいのはその道の終着点にある神殿のレリーフです。道が切れると岩に突き当たりますが、其処を登ると右側に巨大な岩があり、その面に神殿像が刻まれているのです。其処からさらに左に道をとれば、巨大な岩山に差し掛かります。その岩を登ればヨルダン国旗がはためく岩山の頂上に至ります。そして、其処から北方に目をやれば「End of the world」と呼ばれる谷が切れ落ちて死海方面に繋がっているのです。地の果てと言われる如く、その地には一般道は無く切り立った岩峰が連なり、人の侵入を拒むような光景が続いておりました。
遥か西方を望めば「モーゼ」が亡くなったと言われる「ネポ山」が霞んで見えましたし、この辺りは何処を訪れても「旧約聖書」の世界が広がっているのであります。エジプトで苦役に遭っているイスラエルの人々60万人を率いたモーゼの話は映画にもなりましたね。私が行った頃は此処まで足を延ばす観光客も少なく、ましてや岩山によじ登る人も少なかったため、存分に地の果ての光景を目にすることが出来ました。南極に行った時にはアルゼンチンの「ウシアイア」と言う街に「TOP of the world」と書いてありましたから、これで二つの極点を踏んだことになります。
などと、今回も中東の遺跡の話になってしまいました。いい加減にしろと言われそうなので連載はこれで終了です。それでも「死海」での遊泳については書くかも知れません。期待しないで待って頂ければと思っております。ロードレースを終えて今日で五日目となりますが、筋肉痛などの後遺症は出ておりません。ランニングマシンでもしっかり蹴り出していたのでしょうね。ジムのスタッフの方々に感謝です。さて、来年のロードレースに向けて準備再開と行きますか。乞うご期待ですね。
令和8年6月12日 毛利