皆さん、お元気ですか。部屋の南西に小さなベランダがあります。そこには家内が育てる季節の花が咲いております。見ておりますとチュウリップの花弁は夜には閉じるのですね。花は日が昇ると開き沈むと閉じる、この年になって初めて知りました。などとチュウリップ花弁の開閉を切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
先日の毎日新聞のコラム「余禄」に次のような文章が載っていました「自転車、シクラメン、サイクロン、百科事典。さて、共通点は何か?」と言うものであります。考えあぐねていると答えは「周期、循環を意味するサイクルと関連がある」との事でした。言われてみれば自転車はサイクルであり、シクラメンの茎はゼンマイのように巻いているし、サイクロンはインド洋で発生する台風の様なものであります。百科事典はエンサイクロペディアで、円環を成す教育が語源との事であるとの事です。
コラムの主旨は、長年にわたり稼働できていない「核燃料サイクル事業」への苦言であり、青森県六ケ所村に建設中の再処理工場に至っては、未だに完成を観ずに33年もの長きにわたり工事が延期されていることを指摘しておりました。一般の企業であれば遠のむかしに事業は中止していると皮肉っておりました。運営する「日本原燃(株)」と言う会社は、遠のむかしに倒産していて然るべきなのに、未だに存続していると言う事は、この会社は国策会社であり今潰れられると政府が困るからなのであります。今年も入社式をやってました。
昔、この会社を見学したことが有りました。今から20年近く前になりますか、私が公益財団法人全国工業高等学校長協会の事務局に勤めていた頃でした。青森県で行われた全国の工業高校の校長たちが研究協議を行った後、近隣の施設を見学して英知を養うと言う「工場見学」なるイベントでした。その見学先として白羽の矢が立ったのがこの「日本原燃」でした。私はこの知らせを聞いた時「しめた」と思いました。当該の社では過去に会社見学などの実績はなく、その仕事の内容もベールに包まれていたからです。
その為、見学するメンバーの住所氏名はもとより過去の賞罰まで書き込んだと思います。一覧は私が纏めましたが「たかが見学だけなのに大げさなものだ」との感を持ちました。自信のある施設であるならば大手を振って見学者に対応すれば良いと思いましたが、あれはテロ対策のための厳しさであったことを知り、今では反省しております。しかし、見学できた内容は表面的なものが多く、何かを隠しているとの疑いを払拭する見学ルートではありませんでした。
まあ、こんなことは如何でも良いのですがサイクルと言えば自転車ですよね。昔は「サイクリング」なる言葉が流行語となるほど流行りましたね。しかし、私が自転車に乗れるようになったのは小学4年生の時ですから、かなり遅れてのライドでした。この時、電気も無かった田舎から、山形の市内に引っ越しをしたのです。見るものすべてが珍しく、自転車そのものはありましたが、乗ると言う経験は初めてでした。これまでランプでの生活だったのが電灯ですから大変革ですよ。後になって「電灯を吹いて消そうとしていた」と母親に言われた事を懐かしく思い出します。
中学から高校時代は自転車を乗り回し、色々な所へ自転車で行ったことを覚えております。「よくもまあこんな所まで行けたんだ」と驚くほどの距離を走ってましたね。高校の頃はドロップハンドルの自転車を駆使して走り回っておりました。昔は、自転車さえあればどこにでも行けると思ってました。それが高じて70歳代でヒマラヤの麓を自転車で走ってしまいました。普通ですと此処からバイクへ移行するのですが何故か興味が湧きませんでしたね。また、高校でもバイクの話題は少なく「カミナリ族」として世の顰蹙を買うグループが出来るまでは7-8年かかりました。その後の名称が「暴走族」です。
私が教鞭を執っていた頃、暴走族に関わるトラブルが頻繁に発生し、我々を悩ませたものでした。当時のメンバーは高校生が主で、中には中学生や二十歳を過ぎた若者も混じっておりましたね。彼らが集団を組み、改造した車やバイクで道路を我が物顔に走り回る姿は、危険と言うより気違いじみておりましたね。集団での信号無視は当たり前で、集団同士での抗争を繰り返えしたりと遣りたい放題でした。
中には、同じ教室内に敵対する暴走族の構成員が同席していた事もありました。生徒からの情報でその事を知っていた私は二人を呼び出し、校内でのいざこざがあって場合は二人とも退学にすると伝えました。すると彼らは「先生、心配には及びません。学校は学校、族は族で割り切ってます」と言うではありませんか。彼らの方が大人だったですね。彼らも既に還暦を過ぎ、禿げ頭の好々爺になっております。何だったのでしょうね。
まあ、こんな奴らもおればシンナーを吸引しすぎ、歯が溶けてしまったなどと吹聴する奴もおりました。今は合法麻薬とか大麻など、薬物が主になっておりますが、当時は煙草とシンナーが問題でしたね。特に煙草は「煙草は動くアクセサリー」などとの宣伝文句に煽られて手にする生徒は多かったですね。時効ですから告白しますと、私も煙草を口にしたのが高校の二年の時でした。友人宅の二階で興味本位に吸ってみたところ、本当にぶっ倒れましたね。
それでも煙草を吸い続け止めたのが67歳の時でした。煙草歴50年でしたよ。あれから既に15年ですよ。と、言う事は平成23年西暦で言えば2011年ですよ。今では煙草の吸い方すら忘れてしまいました。しかし、何ですかあの加熱式たばこですよ。あんなの、何処が美味しいのでしょうね。私だったら、そのまま紙巻きたばこを吸い続けていたと思います。止めた当時は「HOPE」を二箱も吸ってましたね。良く肺がんになりませんでしたね。
止めたきっかけは、その年の異常な暑さでした。この年は春先から秋口まで暑い日が続き、毎日エアコンをガンガンつけて暮らしておりました。寝室のエアコンも吹き出し口が顔に当たる設計になっておりました。そんな事を繰り返しているうち喉がおかしくなってきました。煙草を吸っても美味しくありませんので、しばらく休んでおりました。すると、何ですか、煙草が美味しくないのです。これまで何百回も「禁煙」を誓い乍ら実現できなかった禁煙が出来るのではないかと期待が膨らみました。そして、その期待通り禁煙が実現したのです。今では暑さとエアコンに感謝ですよ。でも、エアコンはともかく暑さだけはご免被りたいですね。
令和8年4月15日 毛利