毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和8年5月30日

毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和8年5月30日

皆さん、お元気ですか。いやはや驚きましたね。巨人軍監督阿部慎之助の辞任ですよ。まあ、暴力事件ですから已むを得ませんが、もう少し何とかならなかったのでしょうかね。尤も、彼には暴力を封印する意識の無い昭和の体質が残っており、これが裏目に出たのでしょうね。「巨人の星」の星一徹を出すまでもなくスポーツ界にはこれ等の思想が蔓延しているのでしょうね。などと巨人軍の問題を切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。

 昔、子供の頃、世界の四大文明としてメソポタミア文明、エジプト文明、インド文明、中国文明を教わった記憶が有ります。それぞれ大河を中心として発達した文明で、メソポタミアはチグリス・ユーフラテイス川に、エジプトはナイル川に、インドはガンジス川に、そして中国が黄河でしたね。懐かしいですね。共に3000~4000年以上の歴史を持ち、当時の世を支配していたのですね。人類が世に生まれて14000年と言いますから、Ⅰ万年を経て文明と呼ばれる地域が生まれたのですね。この頃の日本は縄文時代後期でしたね。ノンビリしておりました。

改めて地図を確認すると、一方のユーフラテイス川がシリア東部を南北に流れており、イラクでチグリス川と合流しペルシャ湾に注いでおります。共に水源はトルコの山岳地帯で、イランはその多くが山岳地帯となっております。このシリアやヨルダンの西部に出来たのがイスラエルですね。設立は第二次世界大戦後の1948514日ですから最近ですね。この様に考えてみればシリアもヨルダンやイランも古い国だったのですね。

現在のシリアは50年以上にわたって統治していたアサド政権が202412月に崩壊し、未だ政情は不安定ため入国することは出来ません。これからの記事は17年ほど昔に彼の国を訪れた折のレポートです。17年前シリアなどで購入した地図にイスラエルの名はなくパレスチナと書かれておりました。

シリアの首都は「文明の十字路」と言われるダマスカスです。街は旧約聖書で人類史上初の殺人事件が発生した「カシオン山」の麓に広がっておりました。アダムとイブの息子であるカインとアベルが、神への貢ぎ物の事で喧嘩になり兄のカインが弟のアベルを殺しました。その地がカシオン山だったと言う事です。街の中央には「十字軍」と戦ったシリアの英雄「サラディン」の騎馬像が飾られ、そこを中心として多くの「スーク」が軒を連ねておりました。

パルミラの遺跡はダマスカスから西に250km程離れた場所にありましたが、「イスラム国」の兵士たちがその遺跡を破壊し尽くし、今では瓦礫と化した廃墟しか残っていないと言われております(行っていないので推測です)。唯一、その模型が残っているのは池袋の「古代オリエント博物館」のみです。サンシャインシティ文化会館7階に位置する博物館には、パルミラ遺跡の全景を俯瞰した模型が残っており、昔を知る唯一の手掛かりとして残っております。

古代パルミラの遺跡は10㎢以上にも及び、オアシスを取り巻くように長城で囲まれていた模様です。目安としては、私が住んでいる港区の半分ぐらいの広さと言いえますからかなり大きいですよ。高台には万里の長城を彷彿とさせる石垣が残っており、当時の栄華を物語っておりました。その域内には神殿や市街地があり、それを囲むように「ナツメヤシ」の林が広がっていた模様です。エジプト同様、地下に造られた墓地も多かったですね。

中心にはベール神殿と往時の列柱の街並みが遺っておりました。このベール神殿は、イスラムと十字軍が戦った際、時にはイスラムの城となり、またある時は十字軍の出先となって使われた神殿で、キリスト教の痕跡とイスラムの痕跡が同居する建物でもありました。当時としては珍しい排水溝も造られておりましたが、生贄の流す血を洗い流す為の溝でした。敷地内には直径1.8m長さ3m程の石柱が幾重にも並べられており、これからの修復に使用する出番を待っておりました。何でも、パルミラの修復には70年もの年月を要するとの事でしたが、イスラム国の暴挙のためこれも陽を観ずに埋もれてしまうのでしょう。

その神殿の前面には当時の市街地が長さ1200mにも渡って続いており、巨大な凱旋門には石造りの装飾が飾られ、中央の路を囲むように巨大な柱が連なっておりました。凱旋門を潜れば右側に旅人を癒す浴場跡があり、左側には神殿や取引所、商店などが並び、その奥に野外劇場の跡が残っておりました。風呂にはエジプトから運ばれた石が使われるなど、当時の交易の広さが偲ばれます。此処で彼らは商談を整えたと言われております。街路は石で舗装してあり戦車が削ったであろう轍の跡も残っておりました。当時の戦車は騎馬に曳かせる形のチャリオットタイプでした。映画「ベンハー」でお馴染みですね。

街はずれにはラクダなどを囲うコラルがあります。砂漠を旅したラクダたちはこの囲いで一時の休息をとり、再び荷を担って砂漠の旅に出たのでしょう。コラルから周囲を見渡せば、小高い丘の上に建つ「砦」が目に入ります。この地の攻防は十字軍よりはるか以前のローマ時代、パルミラを率いた女王「ゼノビア」の名を轟かせたと言われております。クレオパトラの子孫と自称するゼノビアは聡明であると共に勇敢な戦士でもあったとの事です。

ローマ皇帝誌には「彼女は冑をかぶり、紫色の衣を着て、皇帝のように群衆に向かって演説した。肌は浅黒く、目は黒く、信じられない程の美しさで、歯は真珠のように白く、全西アジアの女性の中で最も気高く美しかった」と記載されております。ゼノビアはパルミラ軍を率いてエジプトまで遠征し、ナイル川と紅海を通ってインドへの航路確保に動いたため、ローマ軍に捕らえられたと言われております。この様にゼノビアが活躍した頃がパルミラの絶頂期だったのかもしれませんね。

パルミラが再び世間の目耳を集めたのは第一次世界大戦の頃で、シリアに駐屯した英軍が地上に現れた柱を掘ってみたら神殿が現れ、その地が遺跡である事に気が付いたとの事であります。パルミラが廃墟になり2000年以上の間、砂嵐などでこの地が埋められ、その深さは6-7mにも及んだと言われます。我々がウロウロした遺跡群の地下には、まだまだ遺跡が眠っていたことになるのです。当時のシリア政府もこの遺跡の重要性に気が付き、其処に住んでいた人々を新市街に移し、発掘を始めたばかりの時にイスラム国に支配されて、遺跡は破壊されてしまったのであります。戦争は人も殺しますが大切な文明も殺してしまうのですね。巨人軍の栄光も同じですね。

令和8530日     毛利

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