皆さん、お元気ですか。何でも米国は今年の7月4日で建国250年との事です。まあ、一つの節目かも知れませんがあまり盛り上がっていない模様ですね、一人を除けばですが。「全ての人間は平等につくられ、生存、自由、幸福を追求する権利を持つ」これは、米国が誕生したと同時に採択された独立宣言で、国家として基本的人権を初めて明文化した文書との事です。起草者はトーマス・ジェファーソンで、初代大統領ジョージ・ワシントン、二代目ジョン・アダムスに次いで三代目の大統領となった男であります。
文面は高らかに自由平等を唱えてありますが、彼は、その実、600人もの黒人奴隷を有する「奴隷王」だったとの事です。まあ、16代大統領エブラハム・リンカーンが「奴隷解放宣言」を唱えるまでは、奴隷を持つことは当たり前の世界だったのです。「言っている事と現実は異なる」の典型ですね。などと米国の建国250年を切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
先日、黒澤明監督の「羅生門」なる作品をNHKBSで観ることが出来ました。4Kデジタルに編集し直した作品との事でしたが、声も編集し直したのでしょうが聞き取りにくさは残りましたね。俳優陣も三船敏郎、京マチ子、志村喬、千秋実など懐かしいですね。また、ストーリーも凄いですね。「一つの殺人事件についての関係者の証言が、全て食い違う」と言う構成で、人間のエゴや真実の曖昧さを描いた作品で、原作は芥川龍之介の「藪の中」と言う事です。
この映画は黒澤明監督の名作で昭和25年と言いますから1950年で、今から76年も昔の作品と言う事になります。国内興行ではヒットに至りませんでしたが、翌1951年9月のヴェネチア国際映画祭で「金獅子賞」を受賞し、翌年には米国アカデミー賞「名誉賞」を受賞したことで、国際的な評価を得る事になり、黒澤監督の力量ひいては日本映画の水準の高さを、世界に広める事になった作品なのであります。先の大戦で無条件降伏し、自信を失っていた我が国に希望の灯をともした映画と言えましょう。
羅城門(ラジョウモン)とは、平城京や平安京など当時の都における、メインストリートである朱雀大路の南端の門と言う位置関係になります。朱雀大路は、平安京の場合は、道幅は約84mもの広さを誇り、都の中央を南北に貫く大通りでありました。この南の起点に建てられたのが羅城門で、この朱雀大路の北側には、天皇が住む宮城の正門である「朱雀門」が有ったと言われております。海外使節などの出迎えや天皇の行幸などにも使われる通りである朱雀大路の入口となる羅城門は、平安京などの都の玄関口として威容を誇っていたと言われております。
この門も度重なる暴風雨などで倒壊したが、再建される事無く荒廃して行ったと伝えられております。映画を見てもその荒廃ぶりは明らかでしたね。一説によりますと、その後、羅城門は盗賊の住処となったり、鬼(酒吞童子の舎弟だった茨木童子)が住んでいて悪さをするため、時の英雄であった渡邊綱に退治されたと言う伝説があり、謡曲「羅生門」の舞台として知られるようになったと言う事です。この謡曲が世に出た頃から羅城門から羅生門(ラショウモン)へと呼び名が変わったとも言われております。
芥川龍之介の小説「藪の中」には、確か、老婆が出て来ましたが、映画では捨て子でしたね。その捨て子から衣服を奪う下人に対し、木こり役の志村喬がその行為を糾弾する場面がありますが、「この子を捨てた親は如何なんだ」と詰め寄られ、沈黙する場面もありました。しかし、その子を抱きしめながら「俺は6人の子がいる。一人増えたぐらいなら平気だ」と、その子を連れて行くところで映画は終わっております。この様な世でも、捨てられた子供を育てぬく人が居ることが作品の中の光明だったのかもしれません。
などと、映画評論家のような文面になってしまいましたが、映画は昔から好きでしたね。特にチャンバラ映画好きで、中村錦之助や東千代之介、そして市川右太衛門や大友柳太郎などの映画を観ていたものです。昔は、祭りなどには小屋掛けの芝居もあり、チャンバラ劇などを観に行ったものでした。映画館も多く、ちょっとした町には信じられない程大きな映画館もありました。山形にも多くの映画館が立ち並び、邦画はもちろん外国の映画を専門にする映画館もありました。
確か昭和39年だったと思いますが、北海道の北部にある天塩中川という街で、土曜日と日曜日だけ営業していると言う映画館に行った事が有りました。当時はサウンドトラックと呼ばれる溝がフィルムの横に走らされており、そこから音が出る仕組みになっておりました。上映されていたのは「ベンハー」でした。制作されたのが1959年と言いますから、今から70年近く前の昭和34年の事になります。チャールトン・ヘストンが主役で監督がウイリアムワイラーと言いますから、例の「ローマの休日」を撮ったのと同じ監督でした。
何故に記憶にあるかと言えば、言ってみれば場末の映画館ですよ。ネズミが足元を走り回り、客がキャーキャーと騒いでおりましたし、冒頭のベンハー序曲が流れている時、観客の一人が「画面が出てこないぞ」と叫んだのです。フィルムを回さないと音が出ないためフィルムは回さざるを得ないのですが、画面は空転したままで何も映っていなかったのです。この様に罪作りな映画でもありました。
先に話題とした「羅生門」や「ベンハー」そして「ローマの休日」などは共に1950年代の作品ですが、今でも話題に登る映画ですから、当時の黒澤明にしろウィリアムワイラーなどの監督は凄かったのですね。黒澤作品は後の「七人の侍」や「用心棒」などハリウッドに影響を及ぼす監督として知られておりますし、ワイラーは「大いなる西部」などの西部劇も作っております。西部劇の世界になると筆が停まりませんが、今回は遠慮しておきます。でも、ジョンフォード監督とジョンウエイン、ジョンスタージェス監督の決闘三部作など、西部劇は何時か話題にしたいですね。
令和8年7月11日 毛利