毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和8年5月10日

毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和8年5月10日

皆さん、お元気ですか。大型連休(巷ではゴールデンウイークなどとも言いますが)の間は、それぞれの行楽地は賑わったとの事ですね。何時もの通り我々年寄は若者にその席を譲り、仲間と飲んだり会合を開いたりして、ざわついた期間を過ごして参りました。皆さんは如何だったでしょうか。中には、お孫さんなどにせっつかれ止む無く混雑の場に身を投じた方もおられると推察しております。ご苦労様でした。疲れが出ないようにと祈っております。などと大型連休を切り口に、今回も毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。

しかし、何ですね。ゴールデンウイークとは良い名前を付けましたね。日本列島どこにでも様々な花が咲き乱れ、新緑がこれまた美しく彩を添えてくれます。しかも、気温も快適だし湿度も人にやさしい高さです。何時もの事ながら「日本に生まれてよかった」と感じる一時です。半面「如何した日本」と叫びたくなる時もありますね。

まあ、世界の中に生きていくためには様々な妥協も必要でしょうが、譲れない矜持もあるのです。矜持は個人はもとより組織体あるいは国家も此れを有していると思っております。以前、国それぞれに矜持つまり「一丁目一番地」があり、国際慣習上では其れに触れることを避けて来た経緯もありますし、この事が世界平和の源であると書いた事があります。確か、高市早苗が中国の台湾問題に言及した時でした。

経緯を追ってみますと、国会等で「台湾問題を追及されたら」これまでの範囲での回答にすべきと教え込まれていたにもお関わらず、ついつい日頃の想いを口にしてしまったらしいですね。ついつい強がってみたかつたのでしょうね、馬鹿ですね。あの、麻生ですら控えていた言葉を何を血迷ったか口にしてしまったのです。勿論、中国は怒り心頭でパンダまで引き払ってしまいましたね。世の中には「言って良い事と言ってはならない事」があるのです。中国の「一丁目一番地」は台湾問題なのです。

取り返しのつかない言葉だったですから、訪米した折、抱き着いたトランプにも怒られて、しょげておりましたが今さら遅いと言わざるを得ません。然らば、外国の人たちは、日本の「一丁目一番地」は「何と」捉えていると思いますか。そうです「天皇制」ですよ。だから、外国の人たちはこの制度に論を展開することは無いのです。外国人が天皇制を批判すれば、彼女でも怒ると思いますよ。自国の事はさておき他国の矜持には手を出すでは国際人として恥ずかしいと言わざるを得ません。隠れて煙草をふかしている時ではありません。

しかし、トランプもマンガの様な人物ですね。取り巻きのブレーンは正確な情報を伝えているのでしょうか。思考回路がショートしているのではないかと心配させますし、甚だ疑問な行動をとりますね。戦略があるのか無いのか、あるのは戦術だけなのか良く分かりませんね。中国に行って「孫子の兵法」でも学んで来れば良いでしょう。何ですかあのベネズエラへの侵攻は、そしてイランへの侵攻ですよ。戦略があるのであれば聞かせてほしいですね。

「アラビアンナイト」の国々へは昔から憧れがありました。童謡「月の砂漠」に謳われたあの姿は、幼かった私の好奇心をくすぐり続けましたね。子供のころ読んだ「アラビアンナイト」は「千夜一夜物語」としても知られておりますね。「アリババと40人の盗賊」や「シンドバッドの冒険」そして「アラジンと魔法のランプ」などは、見知らぬ異国の夢物語でしたね。子供の頃「開けゴマ」などと唱えていたことを思い出します。これ等のお話の出所がペルシャやアラブでしたね。ここに言うペルシャが今のイランですね。子供の頃は地理や地政学などは分かりませんでしたので、おとぎの国として憧れていたのでしょうね。今考えると、砂漠とラクダのキャラバンとが重なって月の砂漠と合体していたのでしょうね。

私はイランに行った事はありませんが、隣国のシリアやヨルダンに行った事はあります。平成21年ですから、今から17年も昔の2009年の年末でした。今は行くことは出来ませんが、この時はシリアの「パルミラ遺跡」とヨルダンの「ペトラ遺跡」を巡り、「死海」で泳いでくると言うツアーでした。当時のシリアはロシアに亡命したアサド大統領に支配されておりましたが、住民はその弾圧に耐えつつ懸命に生きておりました。この度の内乱でシリアで出会った「あの子は」「あの青年は」と思うと心が締め付けられます。例の「イスラム国」と名乗ったテロリスト集団もおりましたが、無事でいて欲しいですね。

シリアの首都は「文明の十字路」と言われるダマスカスです。街は旧約聖書で人類史上初の殺人事件が発生した「カシオン山」の麓に広がっておりました。街の中央には「十字軍」と戦ったシリアの英雄「サラディン」の騎馬像が飾られ、そこを中心として多くの「スーク」が軒を並べておりました。2011年から始まった「アラブの春」の呼応して始まった民主化運動が、アサド政権により弾圧を受け、内戦に突入して戦ううち「イスラム圏」に支配されるなど、混乱が続きましたが、遂に、20242月に独裁者アサドを追放し民主化に繋がったのであります。アサドはロシアに亡命しモスクワで優雅に過ごしているとのことです。「悪い奴ほどよく眠る」の類ですかね。

ダマスカスの朝はコーランの読経で始まります。各地に据えられたスピーカーから、大音響の読経が響いてきます。イスラム教徒ではなくても、この大音響で目が覚めます。なんと、彼の国では一日五回もの祈りを捧げなければならず、人々はいそいそとモスクに駆けつけたり、絨毯の上で西に向かって祈りを捧げます。モスクでは男性はそのままで良いのですが、女性は髪の毛を隠さなければならず、ゲゲゲの鬼太郎に出て来る「ねずみ男」の様な格好でモスクに入らなければなりません。

パルミラはダマスカスから北東に250kmほど離れており、車での移動となりますが、砂漠からの夕日は幻想的のものがあります。しかし、道路の両側はゴミ捨て場のようにタイヤなどの廃棄物が捨てられておりました。昔、我が国も川や海に何でも捨てていた時代もありましたが、シリアも今ではあの様な状態では無い事を信じております。と、ここまで書いたところで、文が長くなっている事に気が付き、続きは次回以降とするしか無いと決断しました。今回は此処までと致します。

令和8510日       毛利

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