毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和7年3月25日

毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和7年3月25日

皆さん、お元気ですか。いよいよ春ですね。桜が咲くかと思われた瞬間、都心でも雪が舞い雷の音がとどろき渡りましたね。驚きましたね。この日は歯科医での診療があり飯田橋まで足を延ばしておりました。駅に着いた途端に大粒の雪ですよ。ただ茫然として故郷の山形を思い出して雪を眺めておりました。それほど激しかった雪も間もなく雨に変わり、雪景色を消し去ってくれました。流石、東京の雪は溶けだす足も速いですね。

 

また、昨日は高知、熊本に続いて東京の桜も開花しましたね。この花は実を付けませんが、故郷・山形のサクランボは少し遅れた開花となりますが、白っぽい優雅な花を咲かせます。しかし、サクランボの花の花見はした事が有りません。などと、季節外れの雪景色やサクランボの花を切り口に、毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。

 

この年になると何かと教訓じみた言葉に吸い寄せられる傾向があります。これ等は四文字熟語が多いですね。先日も尾張藩士横井也有(よこいやゆう)の長寿十訓なる言葉を目にしました。也有さんは江戸時代の武士で国文学や俳句に優れた方だったとの事です。彼が唱えた長寿十訓は.少肉多菜 .少酒(または少糖)多果 .少車多歩 .少欲多施 .少衣多浴 .少煩(または少憂)多眠 .少言多行 .少塩多酢 .少食多噛 .少憤多笑との事です。何となく納得ですね。

 

皆さんは如何でしょうか。私なんぞは多肉小菜 多酒多果 多欲小施 多言多行 多塩小酢 多食小噛 多憤多笑ですね。「スーダラ節」ではありませんが「これじゃ体に良い訳ゃないよ」そのものですね。ところで、このスーダラ節を知ってますか。作詞青島幸男で歌は植木等で一世を風靡しましたね。兎に角終わりは「わかっちゃいるけどやめられね、ほれ、スイスイスーダラらったスラスラスイスイスイ、スーラスーダラらったスラスラスイスイスイ・・・」と続くのです。人を小ばかにしたような節回しが好きでしたね。

 

何か、このところ「昭和」回帰のフレーズを目にしますね。何でも「昭和100年」に因んでいるとか。私も生誕は昭和18年ですから昭和を46年、次の「平成」を30年、そして「令和」を7年も生きているのですから、あと18年生きれば100歳ですよ。凄いですね。自分で自分を褒めたくなります。

 

しかし、この間、日本は目まぐるしく変わりましたね。「先の大戦で焦土と化した国土を蘇らせ、世界に冠たる経済立国に育て上げ、メイドインジャパンの品質を保証して来たのは我々だ!」と声高に主張したいですね。TVコマーシャルで「24時間闘えますか」などと煽られましたが、煽られるまでもなく「ナニクソ」と頑張りましたね。

 

心労を含めた疲れで体が震える様な時でも「ナニクソ」と頑張り、ゼニカネなしでの仕事でも厭いませんでしたね。まあ、尤も、教員には残業手当など着きませんでしたから自己満足にしか過ぎませんでしたが、仕事に、遊びに、部活等に動き回っておりましたね。当時の仲間とは年に数回お会いしますが皆さん元気ですよ。元気の源はその頃培われたのかも知れませんね。

 

世界経済も1970年台のオイルショック(第一次73年、第二次79年)などで節電や買い占めなどで悩まされましたが、何とかしのいできましたね。今の私は「老いるショック」に悩まされておりますが、何とか切り抜けられそうです。しかし、このショックは継続しますね。負けずに頑張りましょう。

 

そう言えば、バブル崩壊も有りましたね。「ジャパンアズナンバーワン」などと煽てられておりましたが、あの頃は景気が良かったですね。世界の優良企業ベストテンを日本企業が占めていましたね。今ではトヨタぐらいしか残っていませんね。如何したのでしょう。私も、あの頃は土木関連の本を書いたり、ビデオで測量士舗や測量士の受験の講義をしたりとか、本業以外でも稼いでおりました。今では禁止されておりますがね。

 

四字熟語ではありませんが、硫黄島で玉砕した栗林中将の辞世の句も心を打たれますね「国のため重き勤めを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」ですよ。玉砕は昭和20326日ですから今年で80年です。硫黄島での36日間に及ぶ激戦で日本側約21900人米国側約6800人と圧倒的に日本側の戦死者の方が多いが、5日でこの島を攻め落とすとしていた米側の計画を遅らすことになりました。それにしても2万人もの死者ですよ。

 

その奮闘は「敵来攻以来、麾下将兵の敢闘は真に鬼畜を哭かしむるものあり」と本土に報告されている如く、筆舌に尽くしがたいものだったと推察されます。前述の如く矢弾尽き果てですよ。何もない中での玉砕ですよ。いくら大本営に打電したところで彼らに戦争終結の意思は無く、打電を受け取った担当者はどの様に思ったのでしょうね。更に、孤島での遺骨収集は進んでいるとはいえ、半数にしか及ばず、未だ、1万1千柱以上の英霊がまだ眠っているのであります。命を賭して我が国の為に戦った先人たちを思えば、戦争を始めたA級戦犯たちを許す訳には行かないのであります。玉砕の日は間もなくですね。政府が係わる動きは有るのでしょうか。

 

などと、今回は取り留めのない話題で申し訳ありません。何の変哲もない日常で桜が開花しただけで嬉しい気持ちになれるのは日本人だからでしょうね。何と言ってもこれからは春です。決して夏ではありません。頑張りましょう。

令和7年325日       毛利

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