皆さん、お元気ですか。しかし暑いですね。梅雨なのに東京では雨が降りませんが、先日サクランボ狩りでお邪魔した上ノ山温泉がゲリラ豪雨に遭ったとの事で心配しております。これで雨の量も辻褄が合う様に成っていくのですかね。この暑さだからでしょうか、男でも「日傘」を差すようになったとの事です。統計によれば日傘で日差しを遮れば、体感温度は5から6度も低下するそうですよ。試してみたくなりますね。
元々、傘の起原は日傘だそうですよ。古代エジプトで日光を遮るために生まれたと言われております。そう言えば、王様の隣には傘を差す奴隷(たぶん)の姿が描かれている絵を見たことが有ります。団扇であおぐ奴隷もおりましたね。この日傘、江戸時代の頃は男女を問わず流行しており、江戸中期に出した日傘の禁止令まであったとの事です。
雨傘については、古代中国でロウや漆を塗った防水加工が開発されていたとの事ですが、一般庶民にまで普及して来たのは江戸時代以降の様ですね。それまでは傘と言っても「蓑傘」と言って、蓑と小さな傘を身に着けて仕事をしておりましたね。子供の頃と言っても中学時代だったと思いますが、農家から蓑を借りて自転車に乗ったことを思い出します。蓑は大切なレインウエアだったのです。などと、男の日傘を切り口に、毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
今年も「高田城ロードレース」へ出かけて来ました。昨年は我々が走っている間だけ雨は止んでくれましたが、今年は朝からの雨に祟られました。「晴れ男」を任ずる私ですが、二年も続いての雨には恐れ入りました。これまでも、周囲は雨でも私の所だけは雨が降らないなどの奇跡もありましたが、余程、妖怪の様な「雨オンナ」あるいは「雨オトコ」が混じっており、雨を降らせたのではないかと疑っております。
地元の新聞(上越タイムス)の一面に「雨にも負けず力走」「全国各地から2153人のランナー集う」などの見出しで我々を称えてくれておりました。いくら称えられても雨の中のレースは嫌ですよね。そして、レースの発走時間が早すぎるのです。8時台前半ですよ。今年で26回との事で26年間続いているイベントですが、何時の頃か、熱中症のランナーが出たため発走時間を繰り上げ、朝の涼しい時間帯を選んだとの事でした。まあ、止むを得ませんが早すぎますね。我々は、隣町の糸魚川市から車で移動してこなければならないのですから。
何故に糸魚川からかと言えば、糸魚川在住の卒業生がこのロードレースを紹介し、その企画に乗った卒業生たちが集団で参加する事になり、集合場所が糸魚川市の「ホテルと居酒屋」と決まっていたため、早目に糸魚川のホテルを出て駆け付けなければならないと言う事情が有った訳です。発走時間が10時台の頃はホテルで食事をしても間に合ったものが、二時間も早まったことにより、途中のコンビニで朝食を摂ると言う、時間調整が必要になる訳なのです。
上越市への移動の途中、日本海の海岸付近に新潟県立海洋高等学校が建っておりました。壁面には「祝 大の里関 横綱おめでとう」なる幟が建っておりました。彼は石川県に生まれましたが、高校時代はこの学校の相撲部で鍛えられたとの事で、糸魚川の町全体が祝賀ムードでした。雲龍型の土俵入りを見ましたが力強かったですね。8年ぶりの日本人横綱とマスコミも喜んでおりますが、彼の師匠の稀勢の里以来でもあるのです。稀勢の里ですら彼が横綱を張る前は14年間日本人横綱は生まれておらず、モンゴル勢に席巻されていたのであります。モンゴルが嫌いなわけでは無いのですが日本人横綱は嬉しいですね。
翻って、日本のマラソンの黎明期の事を調べてみました。何でも国内最古のマラソンは江戸時代の安政2(1855)年5月19日に安中(群馬県)藩主の板倉勝明が藩士の「心身鍛錬」のため、安中城から碓氷峠の熊野神社まで走らせた「遠足(とおあし)」で、組織的に競った長距離走の記録が日本最古との事です。今年も「安政遠足侍マラソン」と銘打って大会が行われたとの事です。現地には碑も残っており中山道がコースとなったとの事で喜んでおります。
当時は黒船来航など騒がしい世となっており、藩主の勝明は藩士の鍛錬の為に走らせたと考えられております。何でも藩士を7名毎のグループに分け、着順を競わせた模様です。碓氷峠までですから距離数は28km程ですが、高低差は約1000mと言いますから、凡そ800mに及ぶ箱根駅伝より大きな高低差を走らなければならなかったわけです。対象は50歳以上の藩士だったとの事ですが、当時は「人生50年」の時代で、今でいえば「人生80年」ですから、私らまで駆り出された事になります。藩士にとっても厳しい時代でしたね。
しかし、やはり80歳を超えると走力も弱りますね。昨年までは4kmを30分で走っていたのも関わらず、今年は3kmを28分も掛かりました。既に報告済みですが昨年の富士登山で脚を痛めた事が、走行距離はもとより走行時間にまで影響して来ておりました。あくまでも健康維持の為のランニングで、競うものでは無いと思いつつも、この間を10分台で走り抜ける中学生たちに拍手ですね。「俺も昔は」などと言いたくはありませんが走力が弱ったことは事実です。
などと、体力が落ちたことを弁解する内容と、雨にまつわる話題となりました。今の時期、安中藩の遠足の様な難問を出す社長や校長がいたら面白いでしょうね。しかし、私が現役の頃は「校内マラソン」とか「校内ロードレース」などと称する徒競走が行われておりましたが、今でも残っているのでしょうか。残っていて欲しいですね。そう言えば、夏に「遠泳」を行事とする学校もありましたが、今は無くなっているかもしれませんね。寂しいですね。
令和7年7月5日 毛利