毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和8年1月1日

毛利顧問の ”皆さんお元気ですか” 令和8年1月1日

新年あけましておめでとうございます。今年も元気に参りましょう。

ところで皆さん、今年の目標は何でしょうか。まあ、それぞれに抱負があり、目標を立てておられる方も多いと推察しております。頑張ってください。

 私は、今年で82歳を迎えます。やはり、80歳を過ぎた頃から無理が効かなくなりましたし、疲れも出る様になりました。しかし、ここでひるんだら元気印にひびが入ると言う訳で、大冒険を敢行する事にしました。今年の2月から3月にかけて、北極に浮かぶ唯一の島スピッツビルゲン島に上陸し、厳冬の北極圏を歩いてきます。唯一の島と書きましたが、人が住んでいる島と言う事ですのでご容赦ください。ノルウエー領スバールバル諸島最大の島で、面積は九州と同じくらいです。この島の氷上を歩いてきます。

 極寒の地と言えばアラスカのフェアバンクスや南極海での遊泳などの実績は有しておりますが、今回の遊泳は無理でしょう。現地で北極グマに襲われたりしない限り帰国する予定ですが、その辺りの報告を楽しみにしてください。などと、企画中の冒険旅行を切り口に、毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。

 「大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも」ご存知の通り、鎌倉幕府三代目の源実朝の詩です。彼は鎌倉幕府を開いた源頼朝とその妻北条正子の間に出来た子で、二代目源頼家が修善寺に幽閉された後、三代目を継いだ将軍と言う事になります。実はこの詩を私は「東海の沖の小島に寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも」と覚えていたのです。

 この詩に出会ったのは中学か高校の国語の時間でした。教科書に載っている詩を力強いと感じたのでしょうね、何と言っても、「割れて砕けて裂けて散る」のですから躍動感抜群ですよね。そんな事もあり、この詩を記憶していたのですが、詩中にある「沖の小島」が今でいう「初島」であると誰かに教わったとの記憶があるのです。その為に誤って記憶しておりましたが、恥ずかしいと言う気持ちはありません。

 初島は静岡県の熱海市の沖合に浮かぶ小さな島で、熱海港から小型船で30分ほどで上陸する事が出きます。これまで3回か4回ほど訪れておりますが、昨年の11月に再度訪ねてみました。昔は何もない小島でしたが、十数年前に巨大な資本が入り立派なホテルとアリーナが完成しました。完成してから二度目の訪問となりますが、船も大型になり収容人員も数百人規模に拡大しておりました。昔は、木造の木っ端舟でしたが今は三層(三階?)の大型船でした。

 日曜日と言う事もあり、ほぼ満席の状態でしたので帰路が心配になりました。早目に旅館について風呂に入りたかったわけです。そこで、先ずは腹ごしらえと港に並ぶ食堂街を目指しました。ここには十数件の漁師が営む食堂があり、今朝捕ったばかりの魚介類の料理を出してくれるのです。その中の一軒に入りましたよ。デコラ版のテーブルとパイプ椅子の昔の食堂です。しかし、頼んだ刺身の盛り合わせは別格でしたね。私の拳より一回りは大きいサザエが中央に鎮座し、周囲を地元の肴で囲むのです。あたかも、刺身の海に浮かぶ島の様でした。正に、初島を彷彿とさせるデコレーションでした。

 こうなると生ビールと熱燗ですよ。他にもサバやヤリイカの焼き魚などで早目の昼食ですよ。気が高揚している為か生ビールをいくら飲んでも飲んだ気がせず、次から次へと注文を繰り返しました。他の仲間は熱燗を手に「旨い旨い」と喜んでおりました。お猪口に何杯かいただきましたが、辛口の清酒で飲み口が良かったですね。まあ、酒は、安くて旨いのが最高ですね。

 この旅行は東京都の工業高校の校長を務めたOB会の旅行で、熱海での会合の前に初島を訪れたものでした。現在、東京都で工業高校の校長を務め上げ、OB会なる会に入っているのは凡そ100名ですが皆さん元気ですよ。しかし、泊まり込みの旅ともなると参加者は限られ、今回は9名の参加しかありませんでしたが、カラオケに興じたりと皆さん元気いっぱいでした。宿は会員制のホテルで、全室が相模湾に面しており、其処からの景色は抜群でした。しかし、年老いた旅人たちは景色よりお風呂と酒でしたね。

 まあ、一部のOB連は部屋飲みで遅くまで騒いでいた模様ですが、昼から出来上がっている私は睡魔には勝てませんでした。翌日は、三島まで足を延ばし「スカイウオーク」なる吊り橋に行く予定でしたが、この日は朝からの雨のため遠征は諦め、朝風呂をゆっくり楽しみ熱海駅に向かいました。熱海は便利ですね。「こだま」は全ての列車が止まりますし、「ひかり」の一部も停まるのです。何と、45分で東京ですよ。100㎞以上離れた熱海の方が、たかだか50㎞程の八王子や青梅より早いのです。まあ、世の中そんなもんですね。

 昭和39年と言いますから、今から60年も昔の事になります。私も未だ大学に通っておりました(雀荘にもね)。その頃に行われた自動車レース「日本グランプリ」でプリンス自動車株式会社の「スカイラインGT」が、一時、世界のポルシェを抜いて首位に立ち、観衆を沸かせたとの事でした。同じころホンダ技研は自動車競技の世界選手権いわゆるF-1に参戦しました。日本の自働車技術の基礎が築かれた時代だったのですね。

 日産自動車がプリンス自動車と合併したのが昭和411966)年の事でした。その頃、1000ccのコンパクトカーであるサニーを鳴り物入りで発売し、トヨタ自動車もカローラの発売で両社が激突し互いに鎬を削りました。日産はブルーバードやセドリックそしてヒルマンなどを手掛け、トヨタはパブリカ、コロナやクラウンなどの販売に力を入れておりました。この頃からですね、我々、一般大衆も車を手にすることが出来る様になったのは。

その後、排ガス規制や石油危機などを乗り越え、日本は米国の排ガス規制をクリアし、世界の自動車大国へとその地位を駆け上がって行ったのであります。それ以降、脱炭素化で電気自動車への移行が進み、人工知能を積んだ自動運転技術の向上へと発展していったのであります。この間、様々な紆余曲折がありましたが、その経緯を全て目にすることが出来た時代に生まれた事を誇りに思っております。また、この技術開発の最中に車を所有し、乗り回すことが出来たのも楽しい思い出でありました。

 その日産とホンダが統合への協議に入ったとの事です。持ち株会社を設立し、三菱自動車の合流も視野に入れての統合で、実現すれば、世界の自動車販売台数第3位の巨大会会社として蘇ることになります。現在、1位がトヨタ自動車で1123万台、2位がフォルクスワーゲン(独)の923万台に次ぐ企業となり、販売台数は813万台に上るとの事です。今さら、攘夷論を持ち出す訳ではありませんが、国産車には頑張って欲しいですね。

 新春早々長い文となってしまいました。反省しております。今年もよろしくお願い申し上げます。   

令和711日      毛利

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