皆さん、お元気ですか。GW(ゴールデンウイーク)も終わりましたね。今年のGWは天候にも恵まれ出かけた方も居られると思いますが、如何お過ごしでしたか。私なんぞは何時もGWですので、この様な時期は若い人たちに席を譲り、GWが終わってから出かける様にしております。GWが終わったこの時期は「都立工業校長OB会」の総会を行っておりますので、アルカディア市ヶ谷なるホテルで今年も総会を行いました。参加者の最高齢は88歳ですが、会員数100名程度の中で最高齢者は105歳ですよ。頑張ってますね。見習いたいですね。などと、諸先輩の頑張りを切り口に、毛利のアドレス帳に載っている方々へBCCにて配信しております。メーリングリスト該当者は外したつもりでしたが、混入しておりましたらご容赦ください。
「私たちはどこから来て、どこへいくのでしょうか。生命とは、絶えず自らを壊しながら作り続ける、移ろい行く流れの中の一時的な存在です。38億年前、生命が生まれた時から、その物語は始まります。それは、生き残りをかけた争いの歴史ではなく、むしろ命をつなぐ協力の歴史とも言えるのです。小さな細胞が大きな細胞の中で生き続ける、たくさんの細胞が互いに協力し合う、異なるいのちが出合い、次のいのちが生まれる。こうして、利己よりむしろ利他によって、多様ないのちが生まれたのです」
何か立派過ぎて私らしくないフレーズですがこれはEXPO2025のあるパビリオンで朗読される画像解説の一部です。この様なパビリオンなら顔を出し覗いて見たくなりますが、今のところは完全にアウトですね。人気が無い様でしたが有名パビリオンでは数時間待ちが続出しているとの事です。待ち時間ゼロを目指すと言っておりましたが、そんなことはあり得ないと思っておりました。何故に出来もしない目標を言うのか良く分かりませんが迷惑な話です。
前回の万博は55年前でしたから1970(昭和45)年でしたね。この頃は、EXPO70とかANPO70などと騒がれてませんでした。何処かでANPO70の文字を見た覚えがありますし、学園紛争も有ったように思います。そんなことは如何でも良いのですが、大阪万博の記憶は殆どありません。ただ、中国パビリオンで買った「茅台酒」の白磁の器が有ったので行った事は間違いないと思います。何か沢庵の様な香りのする酒でしたが、美味しくはありませんでした。
会場をウロウロし京都に寄ったことは覚えております。何を血迷ったのか個人タクシーを半日借り切り、静かな古都を案内してもらい「今度は良いとこを案内します」と言って名刺をもらった記憶があります。恐らく同じ時期だと思いますが「保津川ライン下り」で保津川を降ったのもこの時でしたね。何の脈略も無い旅の選択ですが、如何してたのでしょうね。確か、1人旅でした。
郷里の父がまだまだ健在でこの万博に10日間ぐらい通い詰めてました。幸いなことに弟の就職先が大阪でしたので、そこを根城に通っていた模様です。この時は「月の石」や「動く歩道」「携帯電話」などの見どころがあり、皆さん頑張ってパビリオン廻りをしたものでした。ところが今回の目玉は「火星の石」や「空飛ぶ自動車」程度で目玉とはいえず、縮小感は半端ななく大きいですね。また、夢洲をめぐる「カジノ」建設の噂など、何か政治的に利用されている感がしてなりません。
また、あのキャラクターですよ。ミヤクミヤクと言うんですか、モコモコした輪っかですよ。何を象徴するデザインなのかさっぱり分かりませんし、気持ち悪いですよあのデザイン。皆さん有難がっている様ですが、何処か人を舐めてませんか。私は嫌いですね。あのデザイン。それと前述した待ち時間を無くすはどうなったのでしょうか。兎に角、この年になると黙って待つことが一番辛いのです。待たずに何処のパビリオンでもスイスイと入れるのならば、行ってあげても良いのですが、この様な状況では全く行く気になりません。
私自身この様なお祭りが嫌いなわけではありませんし、筑波の科学技術万博、名古屋の花の万博、沖縄の海の万博などにも足を運びリニアモーターカーなどにも乗った記憶があります。行けば、人よりも動き回り行動半径は大きくなるのですが、今回だけは食指が動きません。歳が成せる「心のブレーキ」なのでしょうか。それとも単なる歳のせいなのでしょうか。・・・歳のせいですね。
こんな不評の万博へ行ってきた方がおられました。何と、我が老人会「PSAの会」のメンバーですよ。私どもの住まいはいわゆるタワマンと呼ばれる建物で、二棟合わせて1000世帯の部屋があります。建物が完成して何と23年ですよ。この建物が建った頃はタワマン自体も珍しく、都内でも数少ないマンションでありました。ところが、何を血迷ったのか付近にタワマンが林立しはじめ、今では住まいの周辺はタワマンと超高層ビルで埋まってしまいました。まあ、その様な機械化された都市部で、せめてもの人間関係をとして発足したのがPASの会と呼ばれる老人会なのです。
私も設立に関わりましたがネーミングには気を遣いましたね。都会的なネーミングで敬老とかシルバーなど年寄を連想させる言葉はNGでした。最終的にはポジティブ・エイジング・イン・汐留(Positive Aging in Shiodome)として略称「PASの会」としたのであります。ポジティブな年寄りですよ。所轄の港区にも申請して、港区の公認も取り付けました。区の公認ともなれば年間の活動費の補助があり、当初はバスを借り切っての日帰り旅行などを敢行しておりましたが、コロナ禍による規制で旅行も儘ならなくなってしまいました。
年を経れば歳も取る訳で、我々も年を取って参りました。従来の様なバス旅行などは無理と判断し、今では月一回の茶話会(カフェ・ド・PASと称しております)、そして映画会(オールドファッションの映画)と散歩の日を設け、顔を合わせる機会を増やし、出来るだけ体を動かすように努めております。カフェ・ド・PASの日には、神明プラザからスタッフを派遣してもらい「みんなといきいき体操」なる運動と「脳トレ」と称して認知予防の体操も行っております。最大の楽しみはこれらイベント終了後の飲み会です。これは欠かしたことが有りません。近所で飲りますので帰路も安心ですからね。
まあ、そんなことは如何でも良いのですが、万博の情報提供を受ければ、以前は「行ってみようか」などとグループ構成なども進むのですが今はダメですね。「あっ、そう」とてんから動く気配は見せません。行きたい気持ちは有るのですが「行ったとしても会場を回ることが出来ないのでは」とか「熱中症で倒れたらどうしよう」など心配が先に立って行動に移せないのです。恐らく、この話題も今回限りかも知れませんね。問題は・・・歳ですね。
令和7年5月12日(月) 毛利