「極寒の極北の島スピッツべルゲン島を歩く」

「極寒の極北の島スピッツべルゲン島を歩く」

「極寒の極北の島スピッツべルゲン島を歩く」

私が南極大陸に旅したのは今から16年前の2月でしたから、平成212009)の事になります。南極点は踏めませんでしたが、南極大陸に上陸した事だけでも大きな喜びでありました。以来、北の極地・北極点を目指し足跡を残そうと画策して参りましたが、今年(2025年)の2月に「極北の島スピッツベルゲン島を歩く」と言うツアーが開催されるのを目にしました。本来ならば北極点の氷の上を踏みしめるべきでしたが、その様なツアーを企画する旅行会社も無く諦めていたところへの朗報でした。北極点は無理でも北極圏にある島を歩くことにより、極点の雰囲気を味わいたいとの思いもありました。

羽田を発ったスカンジナビア航空のエアバスは東進し、ベーリング海峡を経て北極海(Arctic Ocean)に至り、グリーンランドを横断しデンマークのコペンハーゲン空港に至る経路でありました。ロシアのウクライナ侵攻に伴う空路変更のため、14時間ものフライトに耐えなければなりませんでした。この地区のハブであるコペンハーゲン空港には、日本語の案内も設置されており、この地を経てヨーロッパ各地へフライトは行われておりました。この空港からノルウエーの首都オスロまでは2時間弱で、そこからノルウエーの地方都市トロムソまで飛びます。其処で、自然保護のための「スバールバル条約」に同意して、再び2時間のフライトでスバールバル諸島最大で、唯一、人間が住むことが許されているスピッツビルゲン島に上陸できるのです。

まあ、こんな経路で北極海に浮かぶスピッツビルゲン島に上陸出来たわけです。北極点から最も近い島と言う事で、極北での生活はどの様なものかとの解決の糸口を探してきました。昔は氷河におおわれていたと言われるだけあり、島には鋭い頂を持つ岩峰がある一方、何故か平らな山頂が連なる岩峰も連なっておりました。岩峰と岩峰の間には氷河が流れ、それが北極海に注ぎ、削られた大地がフィヨルドとなって天然の良港を造っているのであります。

極寒のこの時期ともなれば北極海は全て氷に覆われ、果てしなく続く雪原が地平線の彼方まで続くのかと想像しておりましたが、然にあらず、海は黒々とした海面を天に晒し、人が住める様な平らな土地は少なく、直ぐに山懐へと勾配が続いておりました。海面が結氷し船が閉じ込められる事もあるとの事ですが、今回の海の様子から窺い知ることは出来ませんでした。現地の人々は「今年の気候は異常だ」と言う如く、例年より10℃ほど気温が高く-6℃ほどで推移していました。ラッキーだったのかアンラッキーだったのかは人それぞれですが、私は厳寒の極地を体験したかったですね。

北極圏の朝は6時ごろから空が白みはじめ、間もなく陽が昇ります。滞在期間中は薄い雲の上から陽が射す程度で、太陽光をまともに浴びることは出来ませんでした。その様な中でも極北の原野を目指して我々は歩きはじめるのですが、ホッキョクグマに備え隊列の先頭と最後尾にはライフル銃を持ったガイドが付き添いました。別な言い方をすれば、ライフル銃を持ったガイドが同行しなければ、街の外には出ることが出来ないと言う事であります。

この事は「スバールバル条約」にも明記してあり、この島に上陸する人はこの条約に則った生活を送らなければなりません。南極にも「南極条約」なるものが有り、全ての行動が条約により規制されますが、この事で環境が保持されている訳であります。南極大陸や島嶼に上陸するときは一地点に100人以下で、上陸できる時間も制限され、ペンギンから5m以上離れるとかアザラシからは15m以上離れなければならないなど、生息する動物に配慮が成されております。

北極のスバールバル条約では、例えばホッキョクグマとの距離感は75m以上離れることが原則で30mまで近づいたら威嚇射撃をしてよい事になっており、それでも近づいて15mになったら射殺しても良いことになっております。ホッキョクグマは好奇心旺盛な動物で人を見たら近づいて来るとの事です。泳ぎの達人(?)で泳いで上陸して来るとの事ですので気を付けなければなりません。

その為、ガイドは轟音と花火の様な光を発する短銃とライフル銃を持って我々をガイドするのであります。出発に際してガイドは弾丸5発をライフルに装てんし、事が有れば発砲する事を伝えると共に、ガイドの終了時には装填を解き弾丸を格納します。我々は13名の集団でしたが、旅行客の中には一人でガイドを雇い旅をする方もおられました。兎に角、ライフルを持ったガイドが付かない限り街の外には出られないのが条件なのです。

この事は日常の生活でも同じで、オーロラ観光に出かけた折も郊外でしたので、小屋から出る時は銃を持ったスタッフが護衛に着くのであります。オーロラ観光の山小屋は、この島に初めて入った冒険家たちが宿泊に使った小屋を再現したものでしたのでトイレは屋外にあり、用を足すときには屋外に出なければなりません。僅か10秒ほどの距離でも店のスタッフが銃を手に護衛してくれるため単独行は憚られ、複数人での所用となります。この様な苦労をしてもオーロラは顔を出してはくれませんでした。オーロラを観るには北過ぎたのです。

この山小屋を仕切っていたのが何と日本人の女性でした。聞けば、前の彼氏がこの島を研究の対象としていたため同行してきたが、むしろ彼女の方がこの島の魅力に取りつかれ、彼は帰国を望んだが一人残ることを決意し、彼と別れて自立しているとの事でした。この島には彼女を含めて3人の日本人が住んでいるとの事で島内事情にも詳しく、隠れた名所を案内して頂きました。ほぼ3000人の島ですから頑張ってますね。この日の小屋は貸し切りでしたが「飲み放題」が付いており、ビールと身の上話にも酔ってしまいました。

この島には世界最北の醸造所があり、金曜日限定で醸造所の開放が行われるとの事で行ってきましたよ。雪山を5~6時間も歩いた後であり、慣れないチエーンスパイクを装着しての山行でした。初めは氷河の上を登りますが、途中から山裾に取り付き尾根を目指すのです。言ってみれば本格的な雪山登山ですが、現地ではピクニック気分です。スキーにシールを着けて登る団体も有りました。昼食は氷河の中の氷の洞窟ですよ。

この様な地でも夏場は暑くなり、氷河が溶けて川となって流れ落ちます。その川に貫かれた洞窟が冬場の観光地になるのです。氷の洞窟は昼間でも光が微妙に屈折して色彩があり幻想的でしたし、その中でのピクニックは神経を高ぶらせてくれました。これこそが秘境の旅の醍醐味です。

この島では樹木は育たず藻類と小さな草だけが育つ世界です。従って、ここで食する食料品は全て運び込まなければなりませんし、生活用品全てが本土から運び込まれます。昔は捕鯨と石炭発掘の場であったこの島も、今では居住地区も限られた地域に限定され、日本で言う「ぽつんと一軒家」などは許されないのであります。原野には藻類を食するトナカイが野生化し群れとなって移動しております。犬ぞりで原野を疾走しているとこの様な群れに遭遇します。

犬ぞり体験にも挑戦しましたが、そりに犬を装着する事から始まり、終了後は犬小屋まで犬を連れていく事が必要です。殆どがシベリアンハスキーでしたが、人懐っこく躾けられており「俺を連れて行ってくれ」と言わんばかりに抱き着いてきます。生まれて初めて犬に顔を舐められキスされてしまいました。  

その犬を先頭に立て4頭の犬がそりを引きますが、コントロールは踏み込み式のブレーキ版だけでした。止まる時にはブレーキを踏み込み、出発の時はそりを軽く押すのです。そうすると犬は心得たもので原野に走り込むのであります。この施設では140頭ほどのハスキー犬が飼育されておりましたが、これ等の食料もすべて本土から運ばれており、トナカイの肉は観光客用に供されるとの事でした。トナカイのステーキは牛肉と同じ触感でそれほど硬いものではありませんでした。脂身も少なく現地のソースで頂きましたが、塩コショウをたっぷり振りかけニンニクと醤油を効かせれば更にビールが進むと思いました。島内では、犬は飼われておりますが猫は皆無という厳しい環境が有りました。

全てがスバールバル条約に制限されており、人はここで死ぬことも生まれる事も禁じられております。臨終が近づけば島を離れて本土か生まれ故郷に帰って死ななければならず、お産も論月が近づけば本土に戻り、出産しなければなりません。そんな島ですが、世界の種子の貯蔵庫が設置されております。

旧約聖書には「ノアの方舟」の逸話が乗っておりますが、これと同じ趣旨で、世界の種子を低温・低酸素状態で休眠させ種子を保存する場が設けられているのです。種の絶滅が危惧されるときはここから種子が運ばれる事になります。正式には「スバールバル世界種子貯蔵庫」と呼ばれておりますが、最大で400万種もの作物の種子が保存されており、「種子の方舟」と呼ばれております。この島が選ばれた訳は政治的にも安定しており平和でかつ一般人の来訪も限られている場だからとの事です、出資者はビルゲイツだそうですが凄い男ですね。

島内の居住地区には立派なスーパーマーケットやワインハウスにレストラン、そして劇場や博物館などが設置されており、暮らしに困らない配慮が成されておりました。保育園や学校はもとより大学までが設けられており、市街の一等地には学生寮が建っておりました。完全に人が住むために企画された街で、炭鉱夫たちが住んでいた地域を開発した場所でした。

珍しい事と言えば、スポーツ用品店にはライフル銃やピストルが展示されて販売しておりました。まあ、海外では銃の販売店は珍しくありませんが、スポーツ用品と一緒に売られているのを見るのは初めてでした。ワイン店には世界の酒が陳列してあり、日本酒も置いてありました。それを眺めていると何か懐かしく感じました。極北の地では持参した日本酒を頂きました。現地の物価は高いですが、全て持ち込みですのでやむを得ません。

などと、長文になってしまいました。私の記録として残すため、細かい所まで記載しました。兎に角、非日常の生活を楽しんできました。今は、夢うつつの中に当時を思い出しております。

令和7313日        毛利

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